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丸善『音の百科辞典』 4.感覚 障がいの世界 に掲載された原稿 (ノーカット版)

 音に関する感覚は、通常聞こえる人の世界と、見えない人や聞こえない人の世界では大きく異なっているのではないか。この項では、視覚障がい者の音感覚と聴覚障がい者の音感覚について考えてみたい。  視覚障がい者にとっての音情報は、視覚からくる情報を補うものとして大変重要な情報源である。一方、聴覚障がい者は、さまざまな音情報がスムーズに得られないという点で、障がいを持っていると言われる人たちである。  この両極端な障がいを持つ人たちの音に関する感覚について考えてみることは、推測の域を出ないことかもしれない。それは、生まれたときから見えなかったり聞こえなかった人が、見えるとはどういうことか、聞こえるとはどういうことか感覚として分からず、推測や想像で考えるしかない、ということと同じではあるまいか。だからこそ、ここに視覚や聴覚に障がいを持つ人への理解のひとつとして、その感覚を考えてみることの意義もあるかと、難問に挑戦してみる。

1.視覚障がい者の世界…音で見る人たち

1)視覚以外で見ている人たち

 「来るときは今にも雨が降りそうな感じだったけど、やっぱり降ってきたね。ますます強く降りそうだけどいつもの所に行きますか」
 「このあたりはまだまだ低いトタン屋根の家が残っているんだね」と話しているのは全盲の仕事仲間。肌に当たる風に含まれる雨の匂い(湿度)を感じるという。雨が降れば、その勢い、木や道路、建物に当たる雨の音から、その雨の状態を受けとるという。その音の違いでコンクリートの建物か木造で瓦屋根かトタン屋根か区別がつくそうだ。彼の推測に間違いはほとんどない。
 全盲の人に初めてのメンバーを紹介した。彼は名刺交換をし、よろしくお願いしますと握手をしてから「随分背の高い方ですね。お若いのによくいらっしゃいました。期待してますよ」、そう言われて初体面のメンバーは、「あの方は見えないとお聞きしてましたが、かなり見えているんですか」と聞いてきた。もちろん彼は見えていない。でも紹介された相手は確かに背が高い若い人である。なぜわかるかと聞くと、話をしている声の質(音程や高低)と方向(高低)、握手をするときの手の位置と向き、その感触などから、その人の背の高さや年齢、積極性などを推測できるという。
 ある時ウオーキングを楽しんでいて、林の中から急に開けた切り通しに出たとたん、「わー海が見えるところなのね、気持ちいい!」と言われ、思わず「見えるの?」と聞いてしまった。光を少し感じる程度の全盲の女性である。私には聞こえなかった波の音と潮の香りで海を感じたのである。
 長年単身赴任で独り暮らしをしていた全盲の人は、夕食によくてんぷらを作って食べたと話す。「天ぷらはわかりやすいよ、音がしっかり教えてくれる」という。確かに揚げ物をするときは、素材を入れてその音で油の温度の高さを推定する。とはいえ、まったく見えないで揚げ物料理を1人でするとは驚異である。
 街を歩いていて、走っている車の排気量や車種、スピードがわかるという全盲の人がいる。走ってる車の振動やタイヤの音で乗用車かトラックの区別がつくし、2トン車か4トン車か、さらに重量オーバーかもわかるそうだ。

2)集中して聴くから感覚が高まる

 ここまで活動的でない人でも、音に関する感覚は、見える人よりも見えない人の方がはるかに感覚が高いのではないかと考えがちである。しかしそれは、音に対する集中力の訓練の賜物で、もともと視覚障がい者が音に対する感覚が高いということではない。
 一人でまちを歩いている白杖使用者が「大丈夫ですか、お手伝いしましょうか」と突然声をかけられ「ほっといてくれ!」と怒鳴ってしまったことがあるという。なぜかと聞くと、「目的地までの地図を頭に叩き込んで意識を集中して歩いている。そんなときに声をかけられその人に対応していると、頭の中の地図がわからなくなってしまう。その人に返事をするために体の向きを変えたら、次に歩き出すときにどこが正面かわからなくなり、歩けなくなってしまう。集中力も切れて混乱してしまうのだ」と。
 まちを歩くとさまざまな音がする。車の走る音、信号や渋滞で止まる車の音、商店から聞こえてくる音楽や人の声、そんな雑多な音情報の中から、自分に必要な情報を拾い出し、頭の中の地図と照らし合わせて、神経を集中させて歩いているのが多くの白杖を持って歩いている人たちなのだろう。もちろん歩き慣れた道は少しはリラックスして歩けるのだろうが。
 慣れた道でも普段の感覚を失うことがある。海外にも一人で出かけてしまう勇気ある全盲の女性が、珍しく雪が積もった東京の街で、嬉しくて駅から家まで雪の中を一人で歩きだし、途中でいつもの信号も曲がり角も分からなくなり、家の近所なのに遭難しそうになったという。雪の中で、いつもは当然聞こえる音が雪に吸い込まれ、足裏に感じる道路の感触が得られず、肌に感じる空気が変わり、前後左右の方向がまったく分からなくなってしまったそうだ。
 視覚障がいのある人が特別に音の感覚が優れているわけではない、と強度の弱視の友が次のように言っている。
 「視覚障がい者だからといって、他の人以上の聴力や音に関する感覚が鋭いわけではない。聴力も感覚も一般の人と変わらないと理解してください。その理解のもとで、次のことが言えると思う。
 視覚障がいということは『見て情報をとれない、または非常にとりにくい』ということを意味する。そのために健常者が「目」を使う部分を、どこかで補う必要性に迫られる。それが“耳で聞く”“手で触れる”“鼻でにおいをかぐ”という『視覚代行手段』である。その代行手段の中で、最も多く利用されているのが(私たちが利用しているのが)“耳で聞く”という手段である。
 ということは、普段の生活で健常者の何倍も「耳の機能」を使っていることになる。だから同じ「聴力」があっても、使う頻度の多さや使い方の度合いが違うために、『視覚障がい者は特別な耳の力を持っている』と誤解されてしまうのである。
 もちろん、音楽家のように天性の絶対音感を持っているとか、特別な音に関する能力を持っている視覚障がい者も、少数だがいるであろう。でもそれは、健常者も同じことである。
 別の言い方をすれば、健常者も訓練次第では視覚障がい者ぐらいの耳の使い方ができるということである。」

3)障がいの程度にかかわらず一人ひとり感覚も異なる

 視覚障がい者といっても、その人の見え方は一人ひとり違う。ぼんやりと人影がわかる人もいれば、全盲でも光を感じる人、まったく光を感じない人もいる。さらに、その人の生活スタイルや考え方、訓練によって、見えない度合いが強度でも、一人で自立して生活している人もいる。そうした違いが、音に対する感覚を一人ひとり違うものにしている。
 見えている人の音に対する感覚が一人ひとり違うように、見えない人の感覚も一人ひとり異なっているのは当然のことである。

2.聴覚障がい者の世界

 「星が瞬く音は、線香花火に火をつけて、勢いよくはじける前のカシャカシャ……というような耳にくすぐったい感じの音なのか。-中略-、実際にはない音だが、聴こえるような気がするのはとても素敵だ。それこそ星が流れるのに音がしないなんてとっても不思議である」*中途失聴の松森果林氏の文章である。

1)一人ひとり違う感覚を持つ

 聴覚障がいを持つ人には、さまざまな人がいる。生まれたときから聴こえない人、途中で聴こえなくなった人、聴こえにくくなった人、補聴器をつければ聴こえる人、補聴器をつけても、わずかに音がしているのはわかるが、それが人の声なのか街の雑音か音楽かが区別できない人……など、まさにその聴こえ方は一人ひとり異なる。
 音に対する感覚といっても、それこそ一人ひとり違い、一様には語れない。生まれつき聴こえない人にその感覚を聞いてみた。その答えは「正直言って回答に困る。経験したことのないものについては答えようがない。音とはどんなものかといわれたら、擬音化した言葉をその表音通りに推測して想像の世界であれこれ考えるしかない。」という。また、犬は「ワンワン」としか吠えないと長い間思っていたが、実際は「うーうー」「ウォンウォン」など多様な表現があることを知った。国によっても表現が違うし、個人によって聴こえ方が千差万別であることを知らなかったと話してくれた。

2)「海の中のように静寂」ではない

 聞こえない人はいつも静寂の中にいるのか、というと、そうではないという。難聴の人の中には、自分のその日の体調などによって人の話が多少聞こえるときと、ほとんど聴こえないときがあるという。ろう者でも補聴器をつけていると、音がしているということはわかる。ただそれが何の音かはわからないという。ただ、雑音でも音がしていることがわかるとそのほうを向いてだれかが話しているのか、車が来て避けなければならないのかということに気がつくので危険を回避できる確率が高くなるからつけている。そのため、補聴器をはずした直後は、静寂の世界という錯覚にふけることがあるという。
 なぜ錯覚かというと、かなりの難聴者やろう者は常にうるさい耳鳴りがしているそうだ。冒頭の松森さんは「耳鳴りを最近私は音楽に置き換えられるようになった。今はモーツァルトよ」と明るく話してくれたが、そうした感覚を持てるまで障がいを受容して物事を前向きに捉えようと努力しているからであろう。かなり希有な感性だと思う。もちろん、いくら前向きに考えられる人でも、生まれながらのろう者には耳鳴りを音楽として感じることは、音楽を聞いたことがないので難しいのではないだろうか。それでも、生来のろう者のある人が補聴器をつけて音楽を聴いたとき、メロディーや意味は分からないけど心が安まる時があるという。
 ある生来のろうの女性が次のように伝えてくれた。
 「私だけなのかもしれませんが、補聴器をつけないで歌謡番組などを見ていると、実際に歌が聞こえてくるような錯覚を起こすことがあります。実際は耳鳴りだろうし、私が想像をたくましくしているだけなのかもしれないのですが。私には目に見えるものや手で触れるものが全てだから、健聴の人が目に見えないものなのに音や言葉を、聞くことができるのが本当に不思議ですね。」

3)音に対する気遣い

 音を聴いたことのないろう者は、音が出るということを言葉で知り、どんなものなのかを想像で考える。そして音にも良い音と悪い音があると知る。悪い音の代表のひとつがガスである。ガスには音の出る場合と出ない場合があるが、その区別ができないので、大変な気遣いをすることになる。また、女性の場合はトイレの音を気にする。聞こえる人たちが水を流しながらトイレを使うと知って、トイレで用を足すときはきっと大きな悪い音(恥ずかしい音)がすると想像して、どんなトイレでも流しながら使うように気をつけることになる。音姫(トイレの洗浄音が出る装置)があれば、たとえそのとき一人でも必ず使う。いつだれか入ってきても聞こえず気づかないからだ。
 また、日常生活の中で音を立てる可能性のある行動には、常に気遣いをしている。ドアを閉めるときは、「ばたん!」と大きな音を立てないようにそっと閉めるとか、お蝎麦をすするときはどのくらいの音が出るのかと心配する人が多い。
 それでも、手話コーラスや手話ダンスを楽しむ聴覚障がいを持つ人が増えている。音は聴こえなくともその歌詞と手話の大きな表現の仕方などで、目と身体から想像の世界の音を楽しもうとしている積極的な姿勢を感じる。

 

3.ダイバーシティを当たり前として

 視覚や聴覚に障がいを持つ人の感覚といっても、まさに人それぞれである。避けたいのは「視覚障がい者はこんな人、聴覚障がい者はこういう人」という晴眼者や健聴者の思い込みで、障がいを持つ人のことをわかったつもりになることである。見えないことや聴こえないことで何が不便ですか、という質問に「見えたこと(聴こえたこと)がないので、不便だといわれても、何が不便かわかりません。別に不便は感じてないです。生まれてからずっとこうですし」と多くの人が答える。 改めて見えたり聴こえたりすることが当たり前だと考えているいわゆる健常者の思い上がりを感じてしまう。手話だけで行う研修をコーディネートしたとき、私以外がみな手話を日常言語にしている人たちの中で、私は手話障がい者だった。私の片言の手話に回りが気遣ってくれた。
 今の社会は聞こえて見える人がマジョリティだが、いつその逆にならないとも限らないし、多勢の持つ特性が当たり前の特性で、少数の特性が特別のことだと考えるのもおかしなことだと感じる。人はどんな特性を持っていても、人として対等であり等しく尊厳があるのである。
 当前のことだが、世の中にはさまざまな特性をもつ人がいる。一人として自分と同じ人は存在しない。ダイバーシティ(多様性)を当たり前として、それぞれ人は自分と異なった感覚や感性を持っていると認識していると、自分の感性を大切に思え、人の感性も大切にしようという人への想像力と思いやりが生まれ、コミュニケーションがスムーズになるのではないだろうか。
 視覚や聴覚に障害を持っている人の感覚が特別なのではなく、自分の持っているさまざまな感覚を総動員して情報収集しながら生活しているという点で、優れた感覚を獲得している人たちではないのだろうか。 

コラム

2004年にダイアログ・イン・ザ・ダークというイベントがあった。フランスで始まったというこのイベントは人工的に完全な闇の空間を作り、晴眼者たちが1本の白杖だけを頼りに、闇の中に入っていく。砂利道があり、川があって橋があり、竹やぶがあり、駅のホームを歩いて階段を降りて公園に入っていきベンチ式のブランコにのる、そして最後にレストランでお茶(ビール)を飲む。足の裏の感触、水の音、電車の音、風の音、必死に耳を澄ませて聴こうとする。案内人は視覚障がい者。「そこの後ろの人、もう3歩くらい前です」などといわれ、彼らは見えているのかと本気で疑ってしまう。いかに視覚に障がいがある人達が、聴覚や嗅覚などを研ぎ澄ませて鋭い感覚を獲得しているかと感動したと同時に、見える人がいかに普段聴覚の感覚を鈍らせているかを実感させるイベントであった。

引用文献
松森果林『星の音が聴こえますか』プロローグ5ページ 筑摩書房 2003

参考文献
松森果林『星の音が聴こえますか』筑摩書房 2003
芳賀優子・松森果林『ゆうことかりんのバリアフリーコミュニケーション』小学館 2003
米内山明宏『プライド』法研 2000
加藤明彦『らくらく視覚障害生活マニュアル』医歯薬出版株式会社 2003
谷千春監修『DVDで覚えるはじめての手話』池田書店 2004