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こんなリスキーな人とは仕事ができない!(月刊総務の連載 2003年11月号)

 いまやどんな企業も、さまざまな国の方と仕事をともにする時代です。
 聞いた話ですが、こんな例があります。
 数か月を要した交渉がようやくまとまり、「ではあした、調印しましょう。まず今夜はディナーでも」ということになりました。レストランでのひととき、仕事の話は野暮ですから趣味や文化の話に。さらに家庭の話になって「うちの愚妻が……」「……」。
 翌日、調印にうかがったら、「今回の話はなかったことにいたしましょう」「え! なぜ?……」。

ADAを遵守するビジネス社会

 国連で「女子差別撤廃条約」が採択されて、すでに四半世紀経とうとしています。さらに米国では、1990年にADA(障がいのあるアメリカ人法)が施行されました。ADAには、障がいなどを理由にしての差別と障壁を取り除くための、さまざまな分野の規定が盛り込まれていて、雇用もその一つに含まれている厳しい法律です。
 雇用の条件として、人種や性別、年齢、身体的条件のいっさいを、選別の基準にすることができないのです。たとえば、コンピュータのプログラマーを募集して、視覚に障がいのある人が応募してきたら、見えないことを理由に入社を拒否できません。見えなくても優秀なプログラマーは大勢います。ただし、見えなくても使える、点字キーボードつきの音声で読み上げてくれるコンピュータが必要です。「当社には、そうしたコンピュータはありませんから……」という対応をしたら、その企業は罰せられてしまいます。 車いすで仕事ができる、聞こえなくても、見えなくても仕事ができる企業環境が当たり前になっています。当然、女性だから管理職になれないとか、基幹の業務に就けないなどということが発覚したら、即刻大問題になり、担当者の首は飛びます。 とくに、セクシュアルハラスメントやジェンダーハラスメントには敏感に反応します。
 先のレストランでの会話のように、男女差別に鈍感な相手と仕事をすることは、たいへんなリスクがあると考えてしまうのではないでしょうか。

ジェンダーフリーは文化の問題ではない

 「わかってるけどサー、男女平等とかジェンダーフリーなんて好きじゃないんだよ」
 こんなことをおっしゃる管理職の方がときどきいます。そんな方にこの話をすると、「なんで? 何がいけないの?」という反応が返ってきます。「身内を卑下して表現するのは日本の文化じゃないか」と。
 文化の違う外国人や年代差のある人に使っても、そのニュアンスは通じません。
 いったい愚妻を英語でどう表現したのでしょうか。まさか、「foolish wife」!? 文化を伝えるなら、むしろ「pretty wife」でしょう。愚妻というその根底には妻は自分のものという感覚が見えます。
 ジェンダーフリーは、好みの問題ではありません。男女に限らず、すべての人が等しく尊厳のある対等な関係だということを“当たり前の常識”と認識していくことが、社会人としての教養であり、ビジネスで成功する重要な要因にすらなっているのです。